その気持ちを、自分だけの弱さだと思っている方が多いように思います。ただ、少し古い本を開くと、この悩みがどれだけ古いかが分かります。
先に答えを言うと、論語の、いちばん最初の章の、最後の一文が、この話です。人に認められなくても腹を立てない。それを君子と呼ぶ、と。2500年前の本の一行目に近い場所に、承認欲求が置いてありました。順番に、書きます。
論語の一行目に、なぜ承認欲求の話があるのか
論語は、学而第一という章から始まります。その第1章は、こういう三つの文でできています。
学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋あり遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。
学ぶことは喜ばしい。友が遠くから訪ねてくるのは楽しい。そして、人が自分を知ってくれなくても腹を立てない、それが君子だ。
つまり、この本の冒頭は、学ぶ喜びと、友との楽しみと、認められない話の三つで組まれています。三つ目だけ、他の二つと温度が違う。喜びと楽しみのあとに、いきなり、認められないときの話が来ます。
孔子自身が、認められなかった人でした。55歳で祖国の魯を去り、衛、宋、鄭、陳と諸国を回って自分の考えを説いた。その期間は、およそ14年。どこの国でも本格的には用いられず、68歳で魯に戻り、あとは世を終えるまで弟子の教育に専念しました。
この一文は、きれいごとではなく、本人の実感だったと読むほうが自然です。認められない14年を歩いた人が、認められなくても腹を立てない、と書いた。順番として、そちらのほうが筋が通ります。
最初と最後を、同じ話で挟んでいる理由
ここで、調べた話を置きます。
学而第一は、全部で16章あります。そして、その最終章、第16章は、こうです。
人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。
人が自分を知ってくれないことを気に病むな。自分が人を知らないことを気に病め。
つまり、学而第一という章は、第1章で「認められなくても腹を立てない」と言い、第16章で「認められないことより、自分が人を知らないことを気にしろ」と言って閉じています。最初と最後が、同じテーマです。
論語は、孔子の死後に弟子たちが編んだ本です。編んだ人たちが、この章の入口と出口に同じ話を置いた。それだけ、弟子たちにとっても、認められないことが大きな問題だったのだと僕は見ています。
孔子が言ったのは、我慢ではなかった
ここからが、今日の本題です。
第1章だけを読むと、認められなくても耐えろ、という我慢の話に聞こえます。ただ、第16章と合わせて読むと、別のことが見えてきます。
孔子は、認められたい気持ちを消せとは言っていません。気に病む向きを、変えろと言っています。人が自分を知らないことから、自分が人を知らないことへ。矢印の向きを、外から内ではなく、内から外へ。
僕の観察では、これはかなり実用的な話でした。人が自分をどう見ているかは、自分では動かせません。動かせないものを気に病むと、疲れだけが残ります。自分が人をどう見ているかは、今日から動かせる。動かせるほうに矢印を向けると、疲れ方が変わります。
たとえば、会議で自分の案が通らなかった日。矢印が外から内に向いていると、なぜ分かってもらえないのか、で一日が終わります。矢印を内から外に向けると、問いが変わる。あの人は、何を大事にして判断しているのか。何を怖がっているのか。それを知りにいくと、次の案の出し方が変わります。認められるかどうかは相手の側の話で、相手を知るかどうかは、こちらの側の話でした。
そして、不思議なもので——人をよく見るようになった人は、あとから人に見てもらえるようになります。順番が、逆でした。
2500年、同じ悩みが残っている意味
認められたい、という気持ちは、あなただけの弱さではありません。孔子の時代からあって、弟子たちが本の入口と出口に置くほど、みんなが困っていた問題です。
それを、2500年前の人が、我慢ではなく、向きの話として片づけていた。僕はこの一節を、承認欲求をなくす方法ではなく、承認欲求と付き合う方法として読んでいます。消すのではなく、矢印を持ち替える。それだけで、腹を立てずにいられる時間が、少し伸びました。



