判断がつかないまま、様子を見てしまう。浄化だと思えば安心できるし、そう書いてある記事もたくさんある。
先に答えを言うと、僕はこの言葉を、体の不調に当てはめて使いません。好転反応は、もともと東洋医学の言葉で、標準の医療では使われないからです。そのうえで、内側が先に変わる時差の話は、別にあります。順番に、書きます。
好転反応とは、もともと何の言葉なのか
ここで、調べた話を置きます。
言葉の出どころは、東洋医学にあります。鍼灸の世界では瞑眩と呼ばれ、あん摩の世界では揉み返しと呼ばれてきたものです。施術や漢方のあとに、だるさや眠気、ほてりなどが一時的に出ることを指していました。悪い状態から良い状態へ向かう途中で出るから、好転反応。そう名づけられた、というのが通説です。
ただし——ここが大事なところですが、これは標準の医療では使われない言葉です。そして、東洋医学の側でも、瞑眩は「重い後遺症にならない程度の弱い副作用」を指す言葉であって、良くなる証拠だと決まっているわけではありません。出たからといって、必ず良くなるとは限らない。
出たから良くなる、とは限らない。まず、ここを押さえておきます。
体の不調を、どこまでそこに置くのか
スピリチュアルの側では、この言葉がとても広く使われています。眠気も、頭痛も、肌荒れも、人間関係のもつれも、全部まとめて浄化のサインだと説明されることがあります。
僕は、そこには乗りません。理由はひとつです。全部を浄化で説明してしまうと、行くべき場所に行かなくなるからです。
それに、浄化という言葉は、都合よく使えてしまいます。良くなっても浄化、悪くなっても浄化の途中。どちらに転んでも説明がつく言葉は、確かめようがありません。確かめようのないものを、体のことで使うのは危ない。そう考えています。
僕は格闘技のジムが同じ縁で、医師と毎週のように話す時間があります。そこで何度も感じたのは、体のことは体の専門家が見るのがいちばん早い、という当たり前のことです。体の不調は、体の話として扱う。心の話と混ぜないほうが、どちらも、早く片づきます。
内側が先に変わるという話は、別にある
そのうえで、僕が確かだと思っていることを書きます。
内側が変わったあと、外側の現実がそれに追いつくまでには、時間がかかります。心が変わった日に、口座の数字は変わりません。習慣を変えた週にも、たぶん、まだです。
そして、その途中の期間はたいてい、居心地が悪い。うまくいっていないように見えるし、まわりが先に進んでいるようにも見えます。しかも、変わろうとしている人を見ると、周りは元の場所に戻そうとします。悪気はありません。相手には、あなたの変化がまだ見えていないからです。見えているのは、いまのあなたの現実だけ。だから「現実を見たほうがいい」と、親切のつもりで言われます。
僕が好転反応という言葉で言えるとしたら、それはこの時差の居心地の悪さまでです。体の症状ではありません。
迷わなくなる分け方
区別しておくと、迷わなくなります。心の落ち着かなさは、時差のせい。体の不調は、体の専門家へ。
この分け方には、もうひとつ利点があります。体のことを専門家に預けると、心のほうに使える余白が戻ってきます。不調の意味を一日中考えていた時間が、空く。その空いた時間で、いまがどの段階の時差なのかを、落ち着いて眺められる。
好転反応という言葉を、僕が使わないのは、信じていないからではありません。言葉の出どころを調べたら、そこに書いてあったからです。弱い副作用の一種で、良くなる証拠ではない、と。出どころに従うほうが、安全でした。



