人数の問題ではないぶん、どうしていいか分からなくなります。連絡先は増えたのに、寂しさは減らない。
先に答えを言うと、孤独は、段階が上がった証拠として置いておくだけでは、何も動きませんでした。人生の楽しいことは、ほとんど他人が運んできます。これは僕の感想ではなく、85年かけて測った研究の結論とも重なります。順番に、書きます。
孤独に、意味はあるのか
よく言われるのは、こういう説明です。波動が上がったから、合わない人が離れていった。魂が成長する途中だから、ひとりになる。
間違いだとは思いません。実際、変わっていく時期に人が入れ替わるのは、僕も何度も見ています。
ただ、その説明だけで終わると、困ったことが起きます。寂しいまま、待つことになるからです。意味づけは、心を少し軽くします。でも、生活のほうは動きません。そして——待っているあいだに、寂しさは薄まりませんでした。
85年かけて分かった、幸福の材料
ここで、調べた話を置きます。
ハーバード大学に、1938年に始まった研究があります。成人発達研究と呼ばれるもので、当初の対象者から、その子どもたちの世代まで、2,000人以上の人生を、85年にわたって追い続けています。健康診断の記録、脳の画像、面談。人の幸福と健康が、何で決まるのかを、これだけ長く測った研究は、他にありません。
結論は、意外なほど単純でした。幸福で健康な人生の鍵は、良い人間関係だった。お金でも、名声でも、学歴でもなく、信頼できる人がそばにいるかどうか。それが、体の健康にまで効いていました。
寂しさは、性格の欠点ではなく、材料が足りていない合図でした。
楽しいことは、どこから来るのか
ここからが、今日の本題です。
一度、身も蓋もないことを認めてみます。人生の楽しいことは、ほとんど全部、他人が持ってきてくれます。
仕事の話も、うまい店の情報も、旅の誘いも、恋も、思いがけない転機も、たいていは人が運んできました。自分ひとりで生み出したものを数えると、驚くほど少ない。
分かりやすい例が、インターネットです。あれだけの技術と資本がつぎ込まれていても、そこに誰もいなければ、一日ももちません。面白さの正体は、線でも画面でもなく、向こう側にいる人のほうでした。
つまり、寂しさを消すことと、人が寄ってくる状態をつくることは、同じ問題の裏表です。
寂しさは、どこで薄れるのか
では、どうすれば人が寄ってくるのか。
僕の観察では、答えは行動の数ではありませんでした。整っている人のところに、整っている人が集まる。奪わない人、機嫌が安定している人、一緒にいたあとに相手の体が軽くなる人です。
だから、無理に人を増やしにいかなくていいんです。連絡先を増やしても、寂しさはあまり減りませんでした。ハーバードの研究も、人数ではなく質だと言っています。
先に整えるほうが、順番として早い。眠りに入れるもの、体に入れるもの、目から入れるもの。地味な三つですが、ここが変わると、まず表情が変わって、そのあと会う人が変わっていきます。
孤独は、消す相手ではなく、順番の合図だと僕は見ています。ひとりの時期は、整える時期でした。
だから、いま人が少ないことを、失敗の証拠として数えなくていいんです。数えるほど、足りなさを探す力のほうが鍛えられます。整えた人から順に、運んでくる人が現れていました。85年の研究が言っているのも、結局は、そばにひとり信頼できる人がいるかどうか、でした。



