辞書を引いても、心のあり方、としか出てきません。分かったようで、何をすればいいのかは、まったく分からない。
先に答えを言うと、精神性とは——あなたという器が、どれだけ整っているかのことです。そして、生まれつきではありませんでした。頭の良さとも、知識の量とも、別のところにあります。それを、いちばん痛い形で知ったのが僕自身です。順番に、書きます。
精神性とは、何のことなのか
むずかしい言葉に見えますが、指しているものは単純です。奪わないか。機嫌が安定しているか。一緒にいたあと、相手の体が軽くなるか。
それだけです。
だから、頭の良さとも、知識の量とも、別のところにあります。本を千冊読んでも、精神性は上がりません。僕がそうでした。人生がいちばん崩れていた頃、本は三百冊ほど読んでいて、それでも落ちていきました。
当時の僕は、寝る前に不安を抱えて眠り、ひどいものを食べ、画面のなかの他人と自分を比べ続けていました。知識だけ抱えて、器はからっぽでした。知っていることと、整っていることは、別物だったのです。
精神性が高いと、何が変わるのか
僕の観察では、三つあります。
ひとつ。同じ質の人が、寄ってきます。整っている人の周りには、整っている人が集まる。例外を、まだ見ていません。
ふたつ。周りから、なぜか魅力的に見えます。顔立ちの話ではありません。その人が部屋に入ってくると、空気が変わる。言葉数が少なくても、聞きたくなる。カリスマ性と呼ばれているものの正体は、生まれつきのオーラではなく、精神性の放つ引力でした。
みっつ。分野を選びません。寄ってくる人が変わるから、人間関係が変わる。奪わずに提供する側に立つから、お金の流れが変わる。心の状態が整うから、体の調子まで変わっていく。
恋愛の悩みと、お金の悩みと、体の不調を、別々に片づけようとすると、いつまでも終わりません。根が同じだからです。
だから僕は、人を見るとき、肩書きも実績も見ません。見ているのは、精神性の部分だけです。旅で会った本物たちには、肩書きが何もありませんでした。逆に、立派な肩書きを持った奪う側の人も、たくさん見てきました。肩書きと精神性は、別の場所にあります。
精神性は、どこで決まるのか
ここが、いちばんの朗報です。
生まれや育ちで決まるものなら、コンビニ弁当で育った僕が、いまここにいません。実家にはお金がなくて、食卓で聞く言葉は「ない」「足りない」「うちには無理」の三つでした。
それでも、変わりました。
変えたのは、意志ではありません。毎日、自分に何を入れているかのほうです。眠りに入れるもの、体に入れるもの、目から入れるもの。この三つを一ヶ月そろえた人は、顔つきが変わっていきました。
体に入れるものの話は、精神論に聞こえるかもしれません。ただ、ここには裏づけがあります。機嫌をつくる材料として知られるセロトニンは、体内にあるもののうち、約九割が腸にあります。脳にあるのは、わずか二パーセントほど。つまり、機嫌の材料の大半は、頭ではなく腸で作られている。
僕が大人になって食事を変えたとき、味覚より先に心の天気が変わったことに驚きました。朝の気分の重さが、違う。イライラの回数が、違う。理屈はあとから知りましたが、体感のほうが先でした。
変え方の優先順位も、はっきりしています。いちばん効くのは、行動で変えること。毎日の小さな行動が、精神性を体の側から作り変えていきます。ただ、いきなり全部を変えるのは大変なので、まずは念じるところからでかまいません。精神性を高める、と心に決める。そこから始めて、少しずつ行動に移していけばいい。旅から帰った僕も、最初は決めただけでした。
精神性という言葉の、重さを下ろす
精神性という言葉は、重く聞こえます。修行とか、悟りとか、そういう遠い場所の話に聞こえる。
でも中身は、毎日自分に何を入れているかの積み重ねでした。眠り、食事、画面。この三つは、今夜から選べます。
無料の情報を何年集めても、変われなかった人を、僕はたくさん見てきました。変わった人は決まって、集める前に、入れるものを変えた人でした。三百冊読んで落ちた人間が言うので、ここだけは確かです。



