アファメーションも、感謝ノートも、ちゃんと続けた。それでも、何も変わらなかった。

引き寄せをやめてしまった方から、いちばんよく聞く言葉です。願い方が悪かったのだと思って、次の方法を探し始める。

先に答えを言うと、叶わなかったのは、願い方のせいではありません。叶った気分になった時点で、体が先に休んでいたからです。これには、測った研究があります。順番に、書きます。

願い方は、間違っていたのか

僕はかつて、引き寄せに没頭した時期があります。アファメーションを毎朝100回、感謝ノートも欠かさず書いて、セミナーにも通いつめました。それでも、何も起きなかった。続けても変わらない徒労感は、よく知っているつもりです。

ただ、いま振り返ると、あの願い方は間違っていませんでした。足りなかったのは、努力でも才能でもなく、願ったあとに何が起きるかの知識でした。

願った未来を思い描くと、何が起きるのか

ここで、調べた話を置きます。

2002年、ニューヨーク大学のエッティンゲンたちが、未来の思い描き方を二つに分けて、その後を追いかけました。ひとつは、期待。望む未来が、来るだろうと判断すること。もうひとつは、空想。望む未来を思い浮かべて、いい気分を味わうこと。対象は、就職活動中の卒業生、片想い中の学生、試験を控えた学生、手術を受ける患者。最長で二年、追いました。

結果は、はっきり分かれました。期待が高い人は、努力の量も、結果も良かった。ところが、空想が多い人ほど、努力が減り、結果も悪かった。四つの場面すべてで、同じ向きに出ています。

期待望む未来が、来るだろうと判断する努力の量が多い結果も良かった空想望む未来を思い浮かべて、いい気分を味わう努力の量が減る結果は悪かった。就職・恋愛・試験・手術後の回復、すべてで期待望む未来が、来るだろうと判断する努力の量が多い結果も良かった空想望む未来を思い浮かべて、いい気分を味わう努力の量が減る結果は悪かった。就職・恋愛・試験・手術後の回復、すべてで
同じ「未来を思う」でも、中身で結果が逆に動いた。

同じ研究者が、2011年に出した論文の題は、そのものずばりでした。「理想の未来についての前向きな空想は、エネルギーを奪う」。

なぜ、叶った気分で止まるのか

願った瞬間に、いい気分になる。これは、悪いことではありません。方向が決まった合図です。問題は、その先でした。体は、いい気分を「もう手に入った」と受け取ります。手に入ったなら、動く必要はない。だから、力を抜く。

僕が毎朝100回唱えていた頃に起きていたのは、これでした。唱え終わると、気分がいい。気分がいいので、その日は満足して終わる。翌朝、また唱える。願いは毎日新しくなるのに、現実は一ミリも動かない。

願う望む未来を思い描く。方向が決まるいい気分叶った情景を味わう。ここまでは正しい体が休む「もう手に入った」と受け取り、力を抜く現実手が動いていないので、何も変わらない願う望む未来を思い描く。方向が決まるいい気分叶った情景を味わう。ここまでは正しい体が休む「もう手に入った」と受け取り、力を抜く現実手が動いていないので、何も変わらない
願い方は正しい。そのあとに、体が休む仕様が挟まっていた。

引き寄せの情報は、この最初の気分の作り方ばかりを教えてくれます。その気分のあとで、体が休む仕様になっていることを、誰もあなたに渡していなかった。設計図を渡されていなかった、それだけです。あなたという人間の問題ではありません。

では、願わないほうがいいのか

違います。願うことは、我慢しなくていい。研究でも、期待の側は結果を良くしていました。差は、願ったあとに、こちらの手が動いているかどうかです。

僕が見てきたかぎり、叶う人は、願いを置いたまま、翌日には手を動かしています。叶った気分を燃料にして、いい気分の残っているうちに、ひとつ動く。空想で終わる人は、気分を味わって、そのまま眠る。願い方は同じ。違うのは、そのあとの数分でした。

気分で終える唱えて、いい気分になって、満足する。体は「手に入った」と受け取って休む。翌朝、また唱える。現実は動かない気分を燃料にする唱えて、いい気分のうちに、ひとつ動く。体が休む前に、手が動いている。願いは置いたまま、現実のほうが追いつく気分で終える唱えて、いい気分になって、満足する。体は「手に入った」と受け取って休む。翌朝、また唱える。現実は動かない気分を燃料にする唱えて、いい気分のうちに、ひとつ動く。体が休む前に、手が動いている。願いは置いたまま、現実のほうが追いつく
気分で終えるか、気分を燃料にするか。願い方は、どちらも同じ。

叶わなかった日々に、意味はありました。願い方の技術は、ちゃんと残っています。足りなかったのは、順番の知識だけです。願ったあと、体が休む前に、ひとつ動く。叶い始めたのは、それを知ってからでした。