サインを探すほど、何も見つからない気がしてきます。ゾロ目も見ないし、物も壊れない。
先に答えを言うと、前兆はありました。ただ——それは、ゾロ目でも、眠気でも、物が壊れることでもありません。順番のほうに、目印があります。順番に、書きます。
願いが叶う前兆は、本当にあるのか
よく紹介されるのは、こういうものです。同じ数字をよく見る。やたらと眠い。大切にしていたものが壊れる。急に不安が強くなる。
僕は、これらを否定しません。実際にそう感じた人がいるのは事実だと思います。ただ、困ったことがひとつあります。どれも、待つことしかできない。数字を見るかどうかも、物が壊れるかどうかも、自分では決められません。前兆を探しているあいだ、手は止まったままです。
新しい機会は、誰から来るのか
ここで、調べた話を置きます。
1973年、社会学者のグラノヴェッターが、転職した人たちに、その仕事の情報を誰から得たかを調べました。対象は、ボストン郊外の282人。結果は、多くの人の予想と逆でした。役に立つ情報をくれたのは、いつも会っている親しい相手ではなく、たまにしか会わない知り合いのほうだった。
理由は、単純です。いつも会う相手は、自分と同じ情報を持っています。たまにしか会わない相手は、自分の知らない世界の情報を持っている。新しいものは、弱いつながりのほうから流れてくる。彼はこれを、弱い紐帯の強さと呼びました。
この研究を、願いの話に置き換えると、こうなります。願いが叶うとき、それを運んでくるのは、たいてい、いま毎日会っている人ではない。まだ会っていない人か、たまにしか会わない人です。つまり、先に変わるのは、会う人のほうでした。
先に変わるのは、現実ではない
ここからが、今日の本題です。僕が実際に見てきた順番は、こうでした。
古くて狭い部屋にいるとします。そこで、いつか広くて日当たりのいい家に住むと、本気で思い込む。この時点では、現実は何も変わっていません。部屋も、収入も、そのままです。
それでも、思い込んだ人は本を買いに行きます。そこで知ったことを、家に帰ってから試します。小さく何かを始めてみる。そこで初めて、外の世界の人と会う。弱いつながりが、ひとつ増える。
気がつくと、住む場所も、会う人も、変わっています。
先に変わったのは、現実ではありませんでした。目に入るものと、会う人のほうです。世の中は、この順番でできていました。だから、僕が前兆と呼べるものがあるとしたら、こうです。読むものが変わった。行く場所が変わった。話す相手が変わった。ここが動いていれば、現実はあとから追いついてきます。
前兆を待つより、早いこと
サインを探す時間を、少し別のことに回してみます。
目に入るものを、自分で選ぶ。見たあとに気が重くなるものを、ひとつ止める。ピンと来たものを、その週のうちに確かめにいく。たまにしか会わない人からの誘いを、断らずに一度受ける。
どれも地味ですが、待つ必要が、ありません。今日、決められます。そして、この三つは前兆を待つ行為と、決定的に違うところがあります。自分で決められる、という一点です。数字を見るかどうかは選べませんが、何を読むかは選べました。
そして、届くまでには時差があります。星の光と同じで、見えていない期間は「来ない」のではなく、こちらへ向かっている途中です。今日始めた人から、順に届いていました。
前兆が見当たらないのは、たぶん、まだ始めたばかりだからです。それは、悪い知らせではありません。読むものと、会う人が変わりはじめたら、それがもう、前兆でした。



