付き合う人を選べ、と言われている気がします。困っている人を、避けるべきものとして扱う言い方です。
先に答えを言うと、うつるのは人ではありませんでした。子どもの頃に受け取った、お金の設定のほうです。そして、設定がどう書き込まれるかは、60年前の実験で分かっています。順番に、書きます。
貧乏はうつるのか
世の中でこの言葉が使われるとき、たいていは付き合う相手の話になります。貧乏な人と一緒にいると、自分も引っ張られる、と。
環境が人に影響するのは、そのとおりだと思います。ただ、この言い方には嫌なところがあります。困っている人を、避けるべきものとして扱ってしまう。僕は、そこには乗りません。もっと早い段階で、決まっていたものがあったからです。
逃げられない、を学習した犬の話
ここで、調べた話を置きます。
1967年、心理学者のセリグマンたちが、犬を使った実験をしました。犬を三つの組に分け、電気ショックを与える。ひとつの組は、目の前のパネルを押せばショックが止まる。もうひとつの組は、同じ装置なのに、パネルを押しても止まらない。何をしても、止められない。
そのあと、状況を変えます。今度は、低い柵を飛び越えればショックから逃げられる部屋に入れる。すると、自分で止められた組の犬は、柵を飛び越えて逃げました。ところが、何をしても止められなかった組の犬の多くは、逃げられる状況になっても、うずくまったまま、ショックに耐え続けました。
逃げられないことを学習すると、逃げられる状況になっても、動かなくなる。セリグマンはこれを、学習性無力感と名づけました。
この実験が教えているのは、無力感は性格ではなく、学習だということです。そして、学習されたものは、状況が変わったあとも残る。
うつるのは人ではなく、設定のほう
ここからが、今日の本題です。僕の家の話をします。
実家には、お金がありませんでした。夕飯は、半額のシールが貼られたコンビニ弁当が定番でした。そして、食卓でいちばんよく聞いた言葉が、三つあります。
「ない」。「足りない」。「うちには無理」。
悪気のある言葉では、ありません。目の前の現実を、そのまま口にしていただけです。ただ——毎日、同じ三つを聞き続けると、それは前提になります。犬がパネルを押しても止まらなかったのと同じで、子どもは、何をしても「ない」が変わらないことを、食卓で学習していく。
毎日この三つを聞いて育った子どもの中には、ひとつの前提が書き込まれます。お金は、ここには来ないもの。
誤解のないように書いておきますが、僕は親を悪く思っていません。愛されていなかったとも思っていない。父も母も、家庭を守って生きることで精一杯だったのだと思います。そして、その前提は父や母が発明したものでもありませんでした。彼らもまた、そのまた親から受け取っただけです。設定は、家系を流れていきます。
うつっているのは、貧乏そのものではなく、この前提のほうでした。
受け継いだものは、どこで変わるのか
この設定が閉じたままだと、何が起きるか。願っても、届いたものが入りません。器のふたが、閉まっているからです。願い方をどれだけ磨いても、受け取る側が閉じていれば、同じところで止まります。柵は低いのに、飛び越えない。
ただ、ここが救いでした。受け継いだだけのものは、生まれつきではありません。学習されたものは、学習し直せる。セリグマンの実験でも、うずくまった犬を、人が柵の向こうへ何度か連れていくと、やがて自分で飛ぶようになったと伝えられています。
生まれつきなら、コンビニ弁当で育った僕が、いまここにいません。書き込まれたものは、あとから書き換えられました。やったことは、大きな決心ではありません。お金を、奪うものではなく、価値を渡した対価として見る。その見方に入れ替えただけです。設定は、見方のほうから変わっていきました。
だから、責める相手はどこにもいないんです。親でも、自分でもない。渡されたのが、そういう設定だっただけでした。柵は、思っているより低い。



