嫌いな人の不幸を、心のどこかで願ってしまう自分がいる。

そう気づいたあとで、落ち込んでしまう方は、少なくありません。願った相手より、願ってしまった自分のほうが、あとを引く。

先に答えを言うと、願ってしまうこと自体は、あなたの心が汚いからではありません。それでも返ってくるように見えるのは、潜在意識が出すオーダーに、善悪の審査がないからです。そして、この話は千年前から、道徳ではなく実務として知られていました。順番に、書きます。

なぜ、不幸を願ってしまうのか

まず、責める必要のない話から。強く傷つけられたとき、その相手が損をする場面を思い浮かべてしまうのは、人として、ごく自然な動きです。怒りも、嫉妬も、人間である以上、勝手に出てきます。僕にも、出てきます。

止めようが、ありません。心臓が動くのを止められないのと、同じです。

問題は、出てきたことではありません。その思考を、何度も握り直してしまうことのほうです。

心には、型があります。毎日、人を批判していれば、欠点を見つける力が鍛えられます。毎日、誰かに嫉妬していれば、自分に足りないものを探す力が鍛えられます。同じように、毎晩ひとりの相手の不幸を思い浮かべていれば、その人のことを考え続ける型が、そのぶんだけ強くなります。回数が、形を変えます。

出てくる傷つけられた直後に、勝手に浮かぶ。ここは誰でも同じ握り直す寝る前や、通勤中に、何度も思い出す型になるその人を考え続ける回路が、繰り返した分だけ太くなる偏る目に入るものが、その人に関することばかりにな出てくる傷つけられた直後に、勝手に浮かぶ。ここは誰でも同じ握り直す寝る前や、通勤中に、何度も思い出す型になるその人を考え続ける回路が、繰り返した分だけ太くなる偏る目に入るものが、その人に関することばかりになる
出てくること自体は選べない。何回握り直すかだけが、選べる。

生まれた一回は、選べません。でも、そのあと何回握るかは、選べます。

「人を呪わば穴二つ」は、千年前の実務だった

ここで、ひとつ調べた話を置きます。

「人を呪わば穴二つ」ということわざがあります。人に害を与えれば自分にも返ってくる、という意味で使われますが、由来のほうは、もっと生々しい。伝承では、平安時代の陰陽師が、人を呪い殺す依頼を受けたとき、墓穴を二つ用意させたのだそうです。相手の分と、自分の分です。

呪いを仕事にしていた人たちが、自分の墓穴を先に掘っていた。

つまりこの言葉は、善人が悪人をたしなめるための道徳として生まれたのではありません。呪う側の、安全対策でした。返ってくる、という現象を、いちばん近くで見ていた人たちが残した言葉です。

教科書の読み方人に害をなすな、という戒め善人が悪人に向けて言う道徳の話由来の読み方呪う側が、自分の墓穴も掘った仕事として呪っていた人の安全策返ってくる、という現象の記録教科書の読み方人に害をなすな、という戒め善人が悪人に向けて言う道徳の話由来の読み方呪う側が、自分の墓穴も掘った仕事として呪っていた人の安全策返ってくる、という現象の記録
同じ言葉でも、教科書の読み方と、由来の読み方では意味が変わる。

陰陽師の逸話は、記録というより伝承に近いとされています。ただ、千年ものあいだ、この言葉が消えずに残っていること自体が、ひとつの観察結果です。

願ったことが、なぜ自分に返ってくるのか

ここからが、今日の本題です。仕組みは、二段になっています。

ひとつめ。あなたが眠っている間も、潜在意識は、働き続けています。寝る直前に考えていたことは、そのまま一晩中、心の中で流れ続ける。僕はこれを、精神世界への「発注書」と呼んでいます。

そして、ここが大事なところなのですが——この発注書には、善悪の審査がありません。受け取る側に、良い願いと悪い願いを見分ける基準が、そもそも無いのです。

つまり、「あの人に不幸が起きますように」と念じながら眠る夜、あなたが一晩中ありありと思い浮かべているのは、不幸という情景そのものです。それが誰に向けられたものかは、区別されません。

ふたつめは、もっと地味で、もっと確実に効いてきます。人の脳は、探しているものだけを拾うようにできています。

心理学に、カクテルパーティー効果と呼ばれる現象があります。騒がしいパーティー会場でも、自分の名前や、自分に関係のある話題だけは、不思議とはっきり聞こえる。1953年に心理学者のコリン・チェリーが報告した、選択的注意の代表例です。脳は、全部を聞いているのではなく、探しているものだけを拾い上げています。

毎晩ひとりの相手を思い出していれば、脳は、その人を探し続けます。その人の話題、似た顔、思い出させる出来事ばかりが、目に入るようになる。

寝る前「不幸になれ」と思い浮かべる一晩中審査なしで、不幸の情景が流れ続ける翌朝脳が、その人を探す設定になっている一日中その人に関するものばかり拾う寝る前「不幸になれ」と思い浮かべる一晩中審査なしで、不幸の情景が流れ続ける翌朝脳が、その人を探す設定になっている一日中その人に関するものばかり拾う
寝る前の一回が、翌日の視界を決める。相手が不幸になるかどうかは関係がない。

相手が本当に不幸になるかどうかは、僕には分かりません。ただ、確かなことが、ひとつだけあります。願っているあいだ、あなたの夜と昼は、その人のことでいっぱいになる。

忘れたい相手を、自分の世界のいちばん真ん中に、置き続けることになるのです。返ってくるというのは、こういうことだと僕は見ています。陰陽師が掘った二つ目の穴は、これでした。

幸せを願えないときに、できること

こういう話は、「嫌いな人の幸せを願いましょう」という結論になりがちです。実際、そういう記事は多い。

ただ、僕の観察では、それができる人は、もう困っていません。傷が生々しいうちに、相手の幸せを祈る。かなりの、無理があります。無理に祈れば、祈っている最中も、その人を思い浮かべることになって、結局は同じ場所に戻ってきます。

祈るたびに、思い出す回数が増える。これでは、二つ目の穴を、丁寧に掘っているのと変わりません。

だから、順番のほうを変えます。好きになる必要も、許す必要も、ありません。思い出す回数を、先に減らす。

無理に幸せを祈る祈るたびに相手を思い浮かべる。回数は減らない。傷が生々しいうちは、祈りの途中で怒りに戻る入り口を閉じる相手の投稿が流れてくる場所を、フォルダの奥へ移す。名前が目に入る導線を減らす。回数のほうが、勝手に減る無理に幸せを祈る祈るたびに相手を思い浮かべる。回数は減らない。傷が生々しいうちは、祈りの途中で怒りに戻る入り口を閉じる相手の投稿が流れてくる場所を、フォルダの奥へ移す。名前が目に入る導線を減らす。回数のほうが、勝手に減る
どちらも「相手を思い出す回数」で見ると、差がはっきりする。

やることは、地味です。その人の投稿が流れてくる場所を、フォルダの奥へ、移す。近況が耳に入る場を、ひとつ減らす。名前が目に入る導線を、生活から外していく。

消さなくて、いいんです。消そうとすると、かえって大きくなります。入り口のほうを閉じるだけで、握る回数は、勝手に減っていきます。

握る回数が減った頃には——その人はもう、あなたの世界の真ん中にいません。そこまで来て、はじめて、幸せを願う余裕が出てきます。順番が、逆でした。

千年前に墓穴を二つ掘った人たちも、たぶん同じことを知っていました。呪い返しを避ける方法は、より強く呪うことではなく、呪う相手から、目を離すことだったのだと思います。