自己啓発という言葉が、どうしても好きになれない。

表紙を見ただけで、そっと棚に戻してしまう。読んだところで現実は変わらないし、売っている側の匂いが強い。よく分かります。

先に答えを言うと、嫌いなままで、かまいません。ただ——僕が仕事で会ってきた経営者は、例外なく、どこかで自分の心に投資していました。そして、自己啓発という看板がつく300年前から、それをやっていた人がいます。順番に、書きます。

自己啓発が嫌われるのは、なぜなのか

嫌われる理由は、はっきりしています。

読んでも現実が変わらない。書いてあることが、どれも似ている。そして何より、売っている側の匂いが強い。読者を焦らせて、次の商品へ連れていこうとする気配が、行間から出ています。

僕も、そこは同じ意見です。不安をあおって高いものを売る売り方は、それ自体が偽物のしるしです。だから、嫌いなままで、いいんです。無理に好きになる必要は、ありません。僕自身、あの棚の前を素通りしていた時期が長くありました。

自己啓発の元祖は、実業家が自分のために作った表だった

ここで、調べた話を置きます。

ベンジャミン・フランクリンという人がいます。18世紀のアメリカで、印刷業で財を成し、のちにアメリカ建国にも関わった実業家です。彼の自伝によると、1728年ごろ、20代前半の彼は、自分の行いを良くするための計画を思いつきました。

守りたい徳を十三に絞る。節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲。そして、一週間にひとつずつ、その徳に集中する。表を作って、守れなかった日には印をつける。十三週で一巡するので、一年で四回まわる。

1728年ごろ20代のフランクリンが十三徳の表を作り、週にひとつずつ取り組む1790年自伝の草稿に、この計画の顛末を書き残す現代自己啓発書の多くが、この「決めて、記録する」型を踏襲している1728年ごろ20代のフランクリンが十三徳の表を作り、週にひとつずつ取り組む1790年自伝の草稿に、この計画の顛末を書き残す現代自己啓発書の多くが、この「決めて、記録する」型を踏襲している
自己啓発という言葉が生まれるはるか前に、実業家が自分のために始めていた。

面白いのは、彼が本人の自伝で、この計画は完全には達成できなかった、と正直に書いていることです。それでも、やらなかった場合より、ずっと良い人間になれた、と。

つまり、自己啓発の原型は、誰かに売るための商品ではなく、実業家が自分のために作った、一枚の表でした。看板がつく前は、ただの自己管理だったのです。

それでも、成功する人は必ず通っている

ここからが、今日の本題です。

僕は経営者と仕事をすることが多いのですが、彼らは確実といっていいほど、人生のどこかで自分の心に手を入れていました。

入口は、ばらばらです。本を読んで変わった人。人の集まりで変わった人。教材を買って覚醒したという人もいます。共通しているのは中身ではなく、心の側が大事だと、どこかで気づいているという一点でした。

そして、順番も同じでした。成功したから心が整ったのでは、ありません。心を整えたから、成功していました。

成功したから、心が整った余裕ができてから、心に手を入れる。この順番の人を、僕はほとんど見ていない心を整えたから、成功した先に自分の心に投資する。入口は本でも人でも教材でもいい。整った分だけ、あとから現実がついてくる成功したから、心が整った余裕ができてから、心に手を入れる。この順番の人を、僕はほとんど見ていない心を整えたから、成功した先に自分の心に投資する。入口は本でも人でも教材でもいい。整った分だけ、あとから現実がついてくる
順番は、いつもこちらだった。整えるのが先で、成功はあと。

僕自身も、そうです。高い車でも贅沢でもなく、本物に会いに行く旅にお金と時間を投じました。直感でこの人だと思った相手に、一年ぶんの時間を投じたこともあります。そうして心に投じた分だけ、気づけばお金の悩みが消えていました。

嫌いなままで、何ができるのか

本が苦手なら、本でなくてかまいません。フランクリンも、本を読んだのではなく、自分で表を作りました。

モノに使ったお金は、減っていきます。でも、精神性に使ったお金は、減るどころか、あとから効いてきました。いちばん確実に増える資産は、自分の心のほうだった、というのが僕の結論です。

会いに行く整っている人のそばで時間を過ごす。いちばん早い行ってみる行きたかった場所へ。本物は普通の場所にいた入れるものを変える眠り・体・目に入れるもの。今夜からできる一枚の表フランクリンがやったこと。守れなかった日に印をつけるだけどれも自己啓発という看板は掲げていない。中身だけを取ればいい
看板がなくても、中身は同じ。入口はどれでもいい。

入口は、なんでもいい。会いたい人に会いに行く。行きたい場所へ行く。眠りに入れるものと、体に入れるものと、目から入れるものを変える。どれも、自己啓発という看板は掲げていません。

看板が嫌いなだけで、中身まで避ける必要はありませんでした。300年前の実業家がやったのも、本を買うことではなく、自分の一週間に、印をつけることでした。